父と母への4.5枚目の手紙。

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父と母に対して手紙を書き始めて、1ヶ月ほどが経った。

最初は、見た後の反応を知るのが怖いなと思ってけども、今は隣に座ってても手紙を書けるようになったし、なんだか手紙を書くことを楽しんでる自分がいる。

 

毎週、毎週、手紙を書くたびに、父と母の想いにより深く気づけるようになってきて、自然と書くたびに感謝の思いと愛されていた思いを感じる。

 

手紙を書いてみていつも思うのは、一言一言綴るたびに、僕の中での思い込みの多くが消えていくなということ。書く前と書いた後では、書く前の感覚を思い出せないくらい、心穏やかになるのをいつも感じる。

 

書くたびに、父と母との繋がりを強く感じ、関係性が対等になっていくような、自然と父と母に対して愛を差し向けられるような、また愛を受け取れるような自分が出てくるのを感じて、それがただただ嬉しい。

 

書いてみて1ヶ月だけども、これからも続けてみたいなと思う。

 

 

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父と母への3枚目の手紙。

自分の人生が触れていく毎に、親の人生にも触れていけるような気がしてて、触れていくたびに、親の偉大さやすごさを、ただ心の中で感じる。

 

自分の使う言葉も、感覚も変わるのを感じるし、今まで興味があったり、欲求があったところに、それらがなくなっていって、

もっとこうしたい、もっとこうやりたいと改めて思うようになる自分を感じる。

 

それはただ、自分ができる幅が増えてきたような感じにも思うし、

親のできていたところに触れられてたような気もしてくる。

 

親ができていたように、僕もできていくということを、親がただ与えていたように、僕が与えていくことをできるような気がする。

 

言葉が出てこないってのも良いことなのかなって、ただ今回の手紙を書いてて感じた。書けないことが、愛され方が変わった証。

 

これからまた、どんな思いを書いていけるのかが楽しみだな。

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父と母への2枚目の手紙。

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手紙を通して、思いを綴るとき、親の心に沢山触れるのを感じる。

言葉は道具で、思いを形にさせるために必要なものかもしれないけど、でも、言葉には道具以上の価値があるように感じる。

 

お互いに本心に素直になれないこと、気持ちに正直になれないこと、思いを行動に移せないこと。そんなことは沢山あったのかもしれないけど、でも、言葉を使えば、その沢山のわだかまりを超えて、お互いの胸の中の思いで繋がり合える。

 

手紙を書いてて、僕は自分の小ささをものすごく感じた。

何にもしていなかった、何にも与えていなかった。でも、愛されることを求めていた自分に、何度か出会い、その度に、そこを感じ取ってもらえてる奇跡を感じた。

 

感じ取ってもらえなかったとしたら、僕はどうなっていたのだろうか。

それを思うと、罪悪感も絶望も悲しみも、まだマシと思えてくるし、その感情を感じていられることこそ、感謝のような気がしている。

 

自分の中にある幾ばくかの感情を通して、学べたことも、身に付けられたことも沢山あったし、成長できたこともあった。でも、その全てが、愛さなくても愛そうとしてくれていた思いがあってのものだとしたら、やっぱりただ感謝しかない。

 

愛し続けてくれた父と母にただ感謝の思いをこれからも綴りたい。

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母への手紙。父への手紙。

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金曜日の夜。父と母への手紙を書いてみた。

紙はどこにでも売ってるコピー用紙で、何か特別装飾されたものでもない。

思いというのは形に左右されるものではないというのは、父や母から教えてもらったものだけど、紙に拘らずに思いが伝わるって素敵だなと改めて思う。

 

こんな何の変哲もない形でも思いが伝わるなんて、母と父は僕に対して一体どれほどまでの愛を与えてくれたんだろうか。

伝わらないことがあっても、でも、こちらからは伝えられることがあるという関係性の貴重さと素晴らしさを、ただただ胸の中で感じる。

 

手紙を書き始めると、胸がスーっとなっていくのを強く感じる。

今までのどんなことよりも、簡単に胸がスーっとなっていくのを感じる。

それは真実に想いを馳せていくような感覚で、その真実が母と父の愛であるとしたら、僕の心の中にずっとあったものなのだろう。

 

それに今まで気付かなくても、今ここで手紙を書かせてもらうことで、気付かせてもらえる。そこには、父と母の愛の強さが必ず存在しているはず。

惜しみなく与えてくれて、でも、今でもどこかで僕に対して愛を向けてくれてると感じるからこそ、僕は簡単に父と母の愛に触れられるのだと思う。

 

手紙を書くと思うのは、本当に素敵な父と母を持ったということ。

今までの、どんなしがらみもどんな粗相なことも、どうでも良いと感じるくらい、父と母への感謝をただ感じる。

 

一枚で、ここまで感じさせる母と父はどれだけ偉大なのだろうか。

でも、その父と母の愛に報いるということは、僕も父と母と同じような偉大さを受け入れるということなのかもな。

 

手紙はまだまだ続く。毎週、毎週。思いを募らせ、思いを馳せながら、書く。

これが僕が父や母に対しての愛の形。僕にしかできない愛の形。

 

1年後、僕。そして父と母は一体どうなっているだろう。

でも、書き続けた先に見えるのは幸せで最高の未来しかない気がする。

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おじちゃん、おばちゃんの笑顔。

介護の施設でおじちゃん、おばちゃん方に関わっていると、とても沢山の笑顔を見せてもらえる。笑顔には人の生き方が現れてるような気もしてて、笑顔を通して、その方の生き様や人生に、少しでも触れさせてもらえることが嬉しい。

 

僕は自分から関わるギアを入れたり、スイッチを入れたりすることがあまり得意な方ではないので、周りの空気感や雰囲気に合わせて、ギアやスイッチを入れることが多い。

 

だからなのか、おじちゃん、おばちゃんの笑顔の価値を感じることが多い。

常に笑顔でいてくれる方もいれば、常に笑顔でありながら優しさを笑顔を通して伝えてくれる方もいる。末尾に笑顔を示してくれる人もいるし、会話の中で仄かに笑顔を見せてくれる方もいる。

 

でも、どの方も関わっても感じるのは、優しさや温かさ。また、こちらを慮る愛や優しさを感じるということ。だから、仕事場で関わる、おじちゃんおばちゃんはみんな好き。みんな愛があって、色々な形で僕を嬉しい気持ちにしてくれる。

 

そもそもで、僕の何倍も生きてる方に、おじちゃん、おばちゃんと呼ぶこと自体失礼なことかもしれないけど、でも、そう呼びたくなるくらい、一人一人の方からの愛を優しさを感じる。

 

笑顔一つで人は元気になる。それはあそこにいる一人一人の方が教えてくれたことだし、笑顔は僕に愛や喜びを感じさせてくれると気付かせてくれたもの。

 

あんな笑顔ができたら良いな、あんな風に笑えたら良いな、そう思わせてもらえることこそが素敵なことで、愛がその場にあふれている証拠。

 

僕を通して、愛の循環を溢れさせてもらえることが嬉しくて、一人一人の笑顔が僕のさらなる笑顔を作り、喜びを愛を作り、そしてまたそれが笑顔でない人の、仄かな静かな笑顔を引き出して。それがそれが嬉しくて嬉しくて。

 

やっぱり、素敵な職場に恵まれたなと改めて思う今日この頃。

どうか、一人一人の方がもっともっと長生きしますように。

そして、その笑顔でこれからも沢山の人を包み込みながら、沢山の人を喜ばせられますように。ただだだ祈るような気持ちでいっぱいです。

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人の暖かさ。

僕は結構、ミスをする。ほんとにすごくする。

基本、マイペースな人間なので、ゆっくり自分のペースで色々なことを身に付けていく性格である。

 

だから、自分でもなんでこんなことでミスするんだろうと思う、ミスがよくある。

今日もそんなことがあった。でも、今日はいつもと違い、ミスに対する人の暖かさをいつも以上に感じた。

 

今日、僕はお仕事でレクの担当をしたのだけど、完全に僕の段取りミスで、始まりはグタグタになって、他の人に体操の時間を代わってもらったり、

最後は最後で、時間内に予定してたものを終えられなくて、色々と短縮しながら急ピッチで終わらせる形となった。

 

その中で、色々な形に迷惑をかけて、特に一人の先輩に色々とカバーしてもらった。

僕が場を仕切ることをちゃんとできない代わりに仕切ってくれたり、

時間が押してることを見越して、先を読みながら動いてくれたり、

僕の代わりに体操をしてくれたりと。

その人も自分のやることがあるにも関わらず、僕の数多くのミスを本当に完璧にリカバリーする形でフォローしてくれた。

 

ほんとに沢山の愛を感じた瞬間。

ミスに付ける薬はあったんだなと、心で感じることができて、自分が変わり成長するための支援をしてくれる人はいるんだと、改めて感じれて嬉しかった。

 

そして最後に帰るときに、先輩に「今日は色々とありがとうございました」と伝えたら、「頑張ってね」と伝えてくれた。

 

愛してもらったように、誰かを愛せるように頑張ろうと素直に思えた。

やっぱり、愛があるって素敵だな。

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あったかいお茶とつめたいお茶。

現在、僕はデイサービスで働いてて、このデイのサービスの中には、レクリエーションというものがある。

このレクリエーションは1時間ほど行うのだけど、途中お茶休憩を挟む。

 

そこでは麦茶を飲んでもらうのだけど、あったかいお茶が飲みたい方もいるので、つめたいお茶とあったかいお茶を用意した。(今日は僕がお茶担当)

 

そしたら、先輩が、すごい!!ってめっちゃ褒めてくれる。

何か特別なことをしたわけではないし、ただつめたいのとあったかいのと二つ用意しただけななんだけど、きっと気遣いに感動してくれたのだと思う。

 

その感動は僕のドヤ顔を作り、そのドヤ顔が、また他の人の感動を引き出していき、その場に笑いや笑顔の花が咲いていった。

 

たった少しの優しさかもしれないけど、それは誰かが見てくれたことによって、喜びや笑いへと伝染していく。優しさの価値を改めて知った瞬間。

 

そして優しさとは、回り回って人の笑顔や喜びを作るのだと知れた瞬間。

優しさの価値や素晴らしさを教えてくれた先輩に、ただただ感謝。

もっともっと人に優しくしたい、今はそんな風に思います。

 

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