よいしょ。
この前、道を歩いていた時に、子供を自転車に乗せたお母さんが前からきた。
そのお母さんは、ただ空気に言葉を乗せるように、一言、「よいしょ」って言った。
何の変哲もない言葉だし、馴染みのある一言かもしれないけど、でも、この一言にはこのお母さんのどんな苦労や頑張りが含まれてるのかなってしみじみと感じた。
たった一言のよいしょなのかもしれないけど、でも、何の変哲もない道端で「よいしょ」と言うってことは、普段からこのお母さんは、どれほど「よいしょ」って言ってるんだろう。
よいしょだけじゃなくて、疲れたとか、しんどいとか、そんな一言をどこかで言っているかもしれない。言わなくても、心の中では思っているかもしれない。
でも、そんな風に「よいしょ」というお母さんの姿は、なぜだか、力強くて子供に対する愛を感じた。子供のために、もう一踏ん張りするか、そんな思いが伝わってきた。
僕の心の中に、今このお母さんを休ませ、落ち着かせられる一言は持ち合わせてないが、でも、ただただ、お疲れ様。ほんとによく頑張ってますね。
年齢がかけ離れてて、失礼になるかもだけど言いたくなる。
僕にとってこの一つの光景は、母の愛を強く感じた瞬間。
子供は守られていて、愛されていて、大切にされている。
たった一つの言葉でもそう感じさせられた素敵な瞬間。
なんだか、母に、そして世のお母さんにありがとうって言いたくなった。
僕を、そして一人の人間を産んで育ててくれてありがとう。
母の心や愛に触れた瞬間が、僕が生かされているんだと感じられる瞬間です。
捨てた思いを拾う。
混み合った電車の中。電車の動きとともにゆらゆらと揺れて立つ。
決して、電車の中は満員ではないけど、そこまで自由に動けるわけでもなくて、人と人とが軽く触れ合いそうな距離感がある。
そんな日常のある瞬間に、自然な落ち着きを感じる時がある。
日々、生きていると自分の誰かを純粋に思う気持ちを捨てなきゃいけない場面は沢山あって、自分のハートと距離を取らざるを得なくなることがある。
満員に近い電車というものも、何も知らない誰かとの間で絶妙な心の距離感を持たなきゃいけない代表的な場面になる。
満員電車の中に、周りを気遣う優しさや温かさのようなものはあっても、誰かを大切に思い、愛し抜くような爆発的な思いはない。
でも、そんな爆発的な思いがないとわかっているからこそ、人の自然な優しさや気遣いは、僕の心に落ち着きをもたらしてくれる。
誰がどうかも知らない、満員電車の中で、隣の人を気遣う心を見せられた時、僕の心は優しさや落ち着きでもたらされる。
静かに優しく、誰かを大切に思おうとする気持ちは美しく、幸せな気持ちで満たされる。
満員電車のような、静かな気遣いが流れ行く場では、誰かを大切に思う爆発的な気持ちは捨てなきゃいけないかもだけど、でも、捨てたからこそ、人の優しい柔らかな気遣いが、より色濃く繊細に僕のハートに残る。
僕の日常の中での好きな瞬間。やっぱり、人は優しい、暖かいと思う瞬間。
もっともっと世界が優しさで満たされますように、満員電車の人場面から、静かにそう思う。